ソーシャルアクションラボ

2022.10.26

アジフライの聖地・長崎県松浦市 成功の裏にある市民の「シビックプライド」

「アジフライの聖地」を掲げ、まちを挙げたPRに取り組んでいるのが、長崎県の本土北部に位置する松浦市だ。さまざまな海の幸が水揚げされる魚市場を持つ同市。アジの水揚げ量が何度も日本一になるなど、水産業が盛んな土地だ。アジフライの聖地を掲げて以降、市内の飲食店には多くの観光客が訪れるようになった。しかし、恩恵を受けているのは水産業、飲食業だけでない。アジフライを起点に多くの市民を巻き込むことで、市民がまちに誇りを、地域づくりについて当事者意識を持つようになった。市はこうした「シビックプライド」が、PR成功の背景にあると明かす。アジフライの聖地誕生に至るストーリーをここにつづる。

市庁舎にはアジフライの聖地をアピールするものが並んでいた

反対意見もあったプロジェクトのはじまり

車で佐賀県伊万里市から松浦市に入ってしばらくすると、食堂「味楽 きらく」が見えてくる。駐車を試みるが、すでに駐車場はいっぱいだ。しばらく待ち、ようやく空いた場所に駐車できた。福岡をはじめ県外ナンバーも目立つ。店に入ると、すでに満席。待っている間にも続々と客が入ってくる。店は終始、活気にあふれていた。

「聖地化」に向けた取り組みに当初から携わっていた市地域経済活性課観光物産係の宮田聡美さん(筆者撮影)

「ここは地元で昔から親しまれていて、私としても馴染みのあるお店です。他県の方がたくさん来られている光景は今でも不思議な感覚」と話すのは、同市地域経済活性課観光物産係の宮田聡美さんだ。

市がアジフライの聖地としてPRを始めたのは2018年2月。同月に就任した友田吉泰市長が、選挙戦で「松浦市をアジフライの聖地にする」と公約(ともだビジョン)の一つに挙げたことがきっかけだった。宮田さんは、それから間もなくして別の課から地域経済活性課に異動してきた。

PR方法を模索する中、まずは市内のアジフライ提供店をまとめた「アジフライマップ」を制作することにした。しかし、当時、肝心のアジフライを提供する店はマップを作るには少なすぎた。観光客らに食べ歩きを楽しんでもらうためにも、アジフライを提供する店は多い方が良い。

宮田さんを含む担当者は、アジフライを提供してもらえないかと、市内の飲食店に依頼して回った。訪問した店舗数は100店舗以上にのぼり、時には食事に行きながら店側とコミュニケーションを取ったという。宮田さんは「最初は『新鮮で美味しい海産物がたくさんあるのにどうしてアジフライ?アジフライが美味しいのは当たり前。それでお客さんを呼べるのか?』という反対意見もありました」と振り返る。それでも「私たちが一生懸命PRをさせていただく」という熱意を伝え続けた結果、「味楽 きらく」をはじめとした複数店舗がアジフライの提供に同意。18年8月、アジフライマップ第一弾の発行に至った。20店舗からのスタートだった。

第一弾のアジフライマップ(同市ホームページより)

転機となった「アジフライの聖地」宣言

取り組みを始めた翌年の19年4月27日。アジフライの聖地としての知名度が一気に高まる出来事があった。市として正式に松浦がアジフライの聖地であることを宣言したのだ。大型連休の初日に合わせて宣言したこともあり、メディアはこぞって取り上げた。その記事などを見た別のメディアも取り上げるという、好循環が生まれた。

市は同日、第二弾となるアジフライマップも発行。掲載は第一弾より多い計29店舗、さらに、松浦アジフライを提供する福岡市天神の人気食堂を新規掲載するなど、前回よりも充実した内容となった。取り組みの結果は数字にも表れた。市の観光客実数は、18年の約87万人から、翌年には約93万人に増加。観光情報サイトのPV数も18年の約89万PVから19年には約117万PVにまで伸びた。

アジフライの聖地宣言イベントの様子。聖地化を宣言したことで多くのメディアが取り上げた(松浦市提供)

効果が出ている要因は、PRのタイミングだけではない。「松浦のアジフライ」のこだわりをしっかり定め、それを各店舗が実直に実行している点にある。

市は、アジフライの聖地として宣言したのと同時に、松浦のアジフライのこだわりをまとめ、「松浦アジフライ憲章」として周知した。松浦のアジフライの特徴は、ふわふわとした食感にある。もちろん、衣の部分はサクッとしているが、すぐにやわらかなアジの身が登場する。秘密は憲章で掲げられている「私たちは、ノンフローズン又はワンフローズンで提供します」の言葉にある。全工程において一度も冷凍しない、もしくは一度の冷凍のみで提供することで、揚げ物の域を超えたやわらかな食感を実現したのだ。

松浦市で提供されるアジフライのこだわりを示した松浦アジフライ憲章(市ホームページより)

憲章を遵守できていない店舗は、アジフライマップに掲載されない。また、憲章はアジフライを提供する店舗にも貼り出されており、客はこだわりを理解した上でアジフライを食べることができる。確固たるこだわりが観光客の期待を生み、しかもその期待に十二分に応えているからこそ支持を集めているのだ。

「味楽 きらく」で提供されているアジフライ。ふわふわした食感と特製のニラソースが特徴だ

外部発信の前に重要な市民への浸透

そもそも、なぜアジフライをPRの手段として選んだのだろうか。宮田さんは「アジそのものではなく、アジフライにすることでさまざまな業種に広がっていく」と、友田市長の狙いを代弁する。

もともと水産業が盛んな松浦。過去にもさまざまな方法で海の幸をPRしてきた。しかし、思ったような効果が出ない状態が続いていた。そこでアジそのものではなく、アジフライに照準を定めた。アジフライとすることで、水産業だけでなく飲食業にもPRの効果が及ぶ可能性があるからだ。アジそのものをPRするのではなく、アジフライとすることで市内の飲食店を食べ歩きできる楽しさが加わり、PRの幅も広がった。

さらに輪は広がりつつある。さまざまな産業がアジフライ関連コンテンツを造成することで、PRの輪に加わった。例えば、「道の駅 松浦海のふるさと館」に設置してあるアジフライをモチーフにしたモニュメントは、地元の石工業者が制作した。そのほかにも、アジフライに関連したTシャツやトートバッグ、鉄鋼業者が制作したキーリングなど、アジフライは今や市内のあらゆる産業を巻き込んでいる。

さまざまなアジフライに関連するグッズが誕生している

宮田さんはもう一つ、重要な視点を提示する。「アジフライの聖地として市民に誇りを持ってもらわなければ、外向けのPRなんてうまくいかない」。まずは取り組みを市民に理解してもらう。そして、自分たちの街に誇りを持ってもらう。そうしなければ、PR施策は空回りしてしまうという意味だ。

その言葉通り、松浦市は市民への周知にも力を入れている。毎月第三金曜日を「アジフライデー」と定め、市内の学校給食でアジフライを提供。県立松浦高校(同市)では、生徒たちが飲食チェーン「ジョイフル長崎松浦店」とコラボし、オリジナルのアジフライ定食を開発した。アジフライマップを掲載した松浦市福岡事務所の広報冊子「meets!まつら」の表紙には、実在する市民がモデルとして登場する。多くの市民を巻き込むことで、市民らが当事者となり、「シビックプライド」の醸成につながっている。

松浦市福岡事務所広報冊子「meets! まつら」

市民のアジフライに対する意識を高めた上で、ターゲットを明確にし、市外へのPRを進めている。メインターゲットは福岡県内に住む20~40代。「ターゲットよりも上の世代はすでに松浦に来ていただいている。これまで弱かった層にアピールしていかなければならない」と宮田さんは説明する。

カギを握っているのは、地域経済活性課が福岡市内に設置する松浦市福岡事務所だ。事務所には市職員1人が常駐。またシティプロモーション推進員として民間人を登用した。推進員は、福岡の放送局にもコメンテーターとして出演するフードアナリストと、全国広報コンクール福岡県審査員などを務める高度な編集技術を持つ人材の2人。重要市場である福岡の情報をいち早く手に入れ、それをPR手法に反映している。民間の知見を生かして制作された「meets! まつら」は福岡の各所に設置されており、22年3月に3万部発行した最新号(vol.17)は、わずか3カ月で品薄状態に。増刷するための予算を確保したという。

「meets!まつら」表紙のモデルになった西日本魚市株式会社(競り人)永田弘樹氏(松浦市提供)

新型コロナの影響で、20年の観光客は前年比で約20万人落ち込んだ。しかし21年は前年比で約10万人増加しており、市の一貫した取り組みが奏功している。

トライ&フィードバックを繰り返し改善していく

宮田さんは「まだまだ取り組みは道半ば。『これで成功した』と言えるような明確なゴールはない」としながらも、「限られた予算の中、お金がかからないこと、そしてやれることは全部やり尽くすことが大切」と力を込める。言葉通り、「申請は手間がかかるけどお金はかからない」と、「meets! まつら」やアジフライの聖地の取組をさまざまなコンテストに応募してきた。結果、冊子部門では「日本タウン誌・フリーペーパー大賞2019」で自治体PR部門優秀賞、全国各地のタウン誌・地域密着型フリーペーパーの全国大会とも言われる「日本地域情報コンテンツ大賞2020」でエントリー500媒体の中から大賞(自治体)を獲得、取組部門では長崎県ツーリズム・アワード2020でグランプリ、国土交通省が主催する令和3年度地域づくり表彰で審査員特別賞を受賞するなど、複数の賞を受賞している。受賞についてメディアが取り上げることで、費用をかけずにPRできているのだ。

取り組みを始めたころは市側からお願いしていたアジフライマップの掲載も、今では飲食店や事業者側から依頼されることも増えてきた。順調に聖地としての歩みを進めているが、宮田さんは「何をしても失敗ということはないと思います。トライ&フィードバックを繰り返すことで必ず次につながる。とにかくやってみることが大切」と言い切る。続けて「(PRの取り組みは)少しずつしか周辺に浸透しないので、まずは腰を据えて5年は続けてみる必要がある」と、長期的視点で取り組むことの重要性を強調した。今後はアフターコロナに向けた外国人観光客向けのPRや、自分で釣った鮮度抜群のアジをフライにし食べてもらう体験や、聖地・松浦アジフライの食べ比べなど、体験型コンテンツの開発を検討しているという。

「やはり『生まれ育った松浦が好き』というのが原点ですね」。そう話す宮田さんの表情には、松浦市民としての誇りがあふれていた。

(取材を終えて)「まずは腰を据えて5年は続けてみる必要がある」という言葉に思わずうなずいてしまった。自治体に限らず、長期的な視点がマーケティングにおいて重要だからだ。言葉にするのは簡単だが、実際に長期視点で行動するのは難しい。半年や1年で個人が評価される日本においては、短期的な結果にこだわることは、個人の立場だと合理的な行動とも言えるからだ。そういった点で、同市の取り組みは好事例だと言えるだろう。今後は海外にも目を向けていくという。海外向けにどんなターゲット、広報戦略を実施していくのか。動向が注目される。