ソーシャルアクションラボ

2022.12.06

海士町のつながり続ける「農耕型」移住・定住促進施策 「移住という言葉をなくしたい」

都会のように何でもあるわけではないが、それが良い。むしろ、ここにしかないものがある−−。そんな意味を込めた「ないものはない」というキャッチコピーを掲げているのが、島根県海士町だ。島根本土から約60キロ離れた場所に位置し、人口は約2300人。小さな離島だが、この島でしか味わえないライフスタイルに惹かれ、多くの移住者が集まっている。町独自の商品開発など地域おこしを十数年続け、一定の成果を挙げている同町。コロナ後には、「農耕型」ともいえる新しい形の移住・定住促進施策に挑戦している。

島根本土から約60キロ離れた場所に位置する海士町

“外貨”を稼ぐ

「行政の効率化」「官から民へ」の掛け声のもと、2004年に進められたのが三位一体の改革だった。地方にとっては財政的な命綱だった地方交付税が削減され、多くの地方自治体が財源不足に苦しむ「地財ショック」が起きた。

同町も、例外ではなかった。1980年には約3500人いた人口も、2000年には約2600人に。人口減少と高齢化が重なり、苦しい状況にあった。加えて、課題となっていたのは町外へのお金の流出だ。同町交流促進課外貨創出特命担当の宮原颯さんは「現在でもそうですが、海士町の大きな課題として『物流のハンデ』が挙げられます」と説明する。同町にないものは、本土から取り寄せるしかない。町民のお金が島で循環するのではなく、島の外に流れてしまっていた。

「海士町では島の外のお金を『外貨』と呼んでいます。この外貨を稼いでいく必要がありました」

宮原さんが語るように、“外貨”を稼ぐ施策が進められていった。

海士町交流促進課外貨創出特命担当の宮原颯さん

取り組んだのは、町独自の商品開発だ。本土から遠いというハンデを逆手に取り、「海士町でしか手に入らない」商品のブランド化を進めていった。商品の一つが、「島じゃ常識 さざえカレー」だ。物流の関係から、かつて同町では肉の入手が難しく、カレーの具としてさざえを入れることが一般的だった。文化として定着していたため商品化には至っていなかったが、島外の人が「珍しい」と教えてくれたことをきっかけに、商品開発がスタートした。また、養殖の岩牡蠣「春香」のブランド化にも成功し、築地市場において最高値で取引されたこともあるほどにまでブランドが育った。

いずれの商品も、共通しているのは島外の人物と地元の人物が協力しながら開発に携わっていることだ。さざえカレーについては、臨時職員として雇用されたIターン者である「商品開発研修生」が開発に参加。春香についても、Iターン・Uターン者と地元の漁師が共同で生産している。

商品開発研修生が開発に携わった「島じゃ常識 さざえカレー」

宮原さんは「交流によって人を呼び込んだ結果が表れていると思います」と話す。地元の中学生が一橋大学に出前授業を行うなど、関東との交流人口を増やす施策を進めたという。交流の場で町の魅力を伝え、惹かれた人が移住する。移住者がまた魅力を伝え、新しい移住者を連れてくる。島外の人物が町に関わることで、新たな魅力創出につながるといった好循環を生んだ。

結果、2000~2010年はマイナス11.1%だった人口減少率が、2010~2020年はマイナス4.5%と、抑えることができている。

移住・定住促進施策は「狩猟型」から「農耕型」へ

「島でしか体験できない」という魅力を伝え続け、多くの人を呼び込んだ同町だが、コロナによって方針を転換することなる。宮原さんは「『狩猟型』だった施策を『農耕型』に変えている途中です」と説明する。

これまでの移住・定住促進施策は、「このような人材が欲しい」というイメージを持ち、そこにアプローチする手法だった。しかし、今後は過去に島を訪れた人物とつながり続け、町への関心を時間をかけて育てることを目指すという。結果的に、もう一度訪れてもらう形を実現したい考えだ。同町では一連の施策を「還流おこしプロジェクト」と命名し、推進している。

同町では、島唯一の高校である島根県立隠岐島前高校に町外から生徒を募集する「島留学」を進めてきた。町外から多くの生徒を呼び込んできたが、大学進学後につながりを保ち続けることができていなかったという。しかし、多くの大学生は、コロナによって環境が一変した。大学構内での授業が自粛され、オンライン授業が実施されることとなったのだ。

そこで、同町では「オンラインで授業が受けられるようになった」ということを逆手に取り、一般財団法人島前ふるさと魅力化財団と共同で「大人の島留学」を展開。かつて島で学んだ大学生や若い社会人が帰ってきて、町内の農業や水産業、宿泊業などの事業所で働きながら一定の期間過ごしている。「もっと住みたい」と移住を決めた留学者もいるといい、効果が表れている。すぐに移住に至らなかったとしても町の公式LINEに登録してもらい、島内や島外でのイベント情報の発信を続けることでつながり続けているという。

海士町発祥の隠岐民謡「キンニャモニャ」の講習会に参加する大人の島留学生の留学生ら

町の声が聞こえるコンテンツ

大人の島留学を始めると同時に取り組んだのが、町公式noteでの発信だ。留学生が自ら体験記を書き、島留学の魅力を伝えている。留学生によって内容はさまざまで、リアルな物語が語られているのが特徴だ。また、町の出来事や、人物インタビュー記事も掲載されているが、これについても執筆は留学生が担っている。町外の留学生の視点で、町の魅力を伝える。かつての商品開発と同じ流れが、今でも続いている。

海士町の公式note

同町が目指しているのは、「旅行以上、移住未満」の滞在人口をストックさせることだ。同町では3カ月から1年の間、町に滞在する人を滞在人口と定義づけている。常に滞在人口を200人でキープさせていくことを目標としており、還流おこしプロジェクトを始めて2年で約70人に達しているという。

宮原さんは「移住者という言葉をなくしたいと考えています」と言い切る。移住者は、町に住み続けてきた町民から、良い意味でも悪い意味でも注目されることになる。その視線が、同町を訪れるハードルを上げてしまっている部分があるのではないかと考えているという。

「滞在人口が増えることで、常に人が出たり入ったりする状況になります。誰か来たと思ったらいなくなって、また新しい人が来る。しばらくすると、いなくなった人が戻ってくる。町にいる人にとってそのような状況が当たり前になると、『あの人は移住者』と注目する目もなくなっていくのではないのでしょうか」

移住には、ある程度の決心が必要になる。しかし、期間を定めて気軽に住めるような場所であれば、滞在するハードルは低くなる。新しい移住の形が定着することで、自然と移住者という言葉がなくなっていくだろう。

町の事業所を変えていく

新しい移住・定住施策が定着しつつある同町だが、課題もあるという。島留学の受け入れ先である事業所について、留学生の間で人気の差が生まれていることだ。宮原さんは「例えばどこでも、誰でもできるような単純作業しかさせてもらえなかったら、留学の楽しさは半減してしまいます」と現状について説明する。今後は事業所に伴走しながら改善するような仕組みを検討していきたいとしている。

事業所の変化は、働く環境の整備につながる。これまで同町が歩んできたように、町の変化のきっかけは留学生という町外の人物だ。新しい移住・定住促進施策は、どのように町を変えていくのだろうか。今後の同町にも、注目が集まるだろう。

(取材を終えて)移住・定住という分野では知名度が高いといえる海士町。これまでの施策を中心に取材しようと思っていたが、町への関心を育てていく「農耕型」の施策に興味が向き、取材の方針を変えた。「つながり続けていく」というのはブランドを育てていく上でも重要なキーワードとなっており、同町の事例は町のブランドを育てていくという部分で大いに参考になるだろう。これからは、滞在人口を保ち続けていくことになるという。受け入れ環境の整備のほか、町民と滞在者のコミュニケーションのあり方が今後の焦点になっていくだろう。